中世のイギリスにおいて、知識の追求は教会によって厳しく管理されていました。聖書や神学的な教義を理解することは、神の恩寵を得るために不可欠と考えられていました。しかし、12世紀になると、従来の教会教育システムに対する風潮が変化し始めました。人々はより広範な分野の知識を求め、世俗的な学問にも関心を抱くようになっていたのです。この変化の中で、オックスフォード大学が設立されました。
1096年、ノルマンディー公ウィリアム征服王がイングランドを征服した後に、多くの修道院が建設され、学問の拠点となりました。これらの修道院では、聖書や神学に関する教育が行われていましたが、世俗的な学問への関心は徐々に高まっていきました。特に、12世紀に入ると、アリストテレスの哲学やローマ法などの古代ギリシア・ローマの知識がヨーロッパに再導入され、多くの学者がこれらの学問を学び始めました。
オックスフォード大学は、この変化の中で誕生しました。正確な設立年は不明ですが、一般的には1167年頃とされています。当初、オックスフォード大学は「学堂(School)」と呼ばれる複数の独立した教育機関の集まりでした。各学堂は、特定の分野の学問を教え、独自の規則を持ち、学生を募集していました。
学堂名 | 設立年 | 専門分野 |
---|---|---|
ベア・カレッジ | 1263年 | 神学、哲学 |
オール・ソウルズ・カレッジ | 1438年 | 神学、人文科学 |
マートン・カレッジ | 1378年 | 神学、医学 |
オックスフォード大学は、当初は神学教育を主とするものでしたが、徐々に哲学、法学、医学などの分野にも進出していきました。学生たちは、ラテン語で講義を受け、議論に参加し、論文を作成しました。彼らは、修道院の書物や古代ギリシア・ローマの文献を参考にしながら、新しい知識を生み出そうとしていました。
オックスフォード大学の設立は、中世ヨーロッパに大きな影響を与えました。
-
学問の自由化: オックスフォード大学は、教会による学問の独占を打破し、より幅広い分野の知識が追求されることを可能にしました。学生たちは、伝統的な神学だけでなく、哲学や自然科学などの分野にも関心を持ち、新しい学問を生み出すようになりました。
-
ヨーロッパにおける学術の中心地: オックスフォード大学は、12世紀以降、ヨーロッパで最も重要な学術の中心の一つとなりました。多くの学生がヨーロッパ中から集まり、学問を学び、議論に参加しました。このため、オックスフォード大学は、知識の交流と普及に大きく貢献しました。
-
社会への影響: オックスフォード大学の卒業生は、教会や王宮で重要な地位を占めることが多く、社会に大きな影響を与えました。彼らは、政治、法律、教育など、様々な分野で活躍し、中世ヨーロッパの発展に貢献しました。
オックスフォード大学は、単なる教育機関ではなく、中世ヨーロッパの知的発展を象徴する存在でした。その設立は、学問の自由化とヨーロッパにおける学術の中心の形成という重要な役割を果たし、現代の大学教育にも大きな影響を与えています。